頑張り過ぎたら

即休憩


 これは、ここで私が書いてしまっていいのだろうか、と、少々(?)躊躇するお話です。なぜなら、なんと私、 10年くらい前までは、「休憩するのはいけないことだ」と勝手に思い込んでたんですよ。なんでそんなこと思ってたんでしょうね?不思議不思議。

 だから、生まれて初めてアルバイトに出た時に、ものすごく驚きました。 そこは午前9時から午後5時まで全員いっせいに働く製作所で、納期の過ぎた製品が常に山積みになってるようなところだったんです。 なのになんと、毎日午後3時になると、お茶の時間ということで、みんないっせいに仕事の手を止め、のんびりおしゃべりを始めるのですね。 これを見た私は、「休んでる暇があったら1つでも多くの製品を仕上げてしまうべきだろう」と考えていました。

 まぁ、今思えばその製作所は少々のんびりし過ぎだったようではありますが、でも、 「一定時間働いたら、きちんと休憩を入れる」というのは、 実は人間にとって、最低限、絶対に必要なことだったんですね!!
 ・・・ということが、今から10年くらい前になって初めてわかったのです。それは、私のごくごく親しい知人が、 頑張って頑張って頑張り過ぎた結果、ある日突然、何のやる気も出なくなってしまう“燃え尽き症候群”に 陥ってしまったために、やっとわかったことでした。

 その知人はまだまだ元気だった頃、私によくこう言っていました。
全体が中心でそこに個人が合わせて行くのか、それとも個人が中心でそこに全体が合わせて行くのか」と。
 ここで言う個人というのは、もちろん1人の人間です。そして全体というのは、例えば会社とか、学校とか、 サークルとか、家族とか、とにかく規模の大きさとは関係無く、その1人の人間が所属している1つのまとまった集団の全体、ということです。

 例えばアメリカのような個人主義の国では、きっとほとんどの人が「個人が中心でそこに全体が合わせて行く」と思っているのでしょう。 そうであれば、個々の人間は、自分の時間、自分の生活をまず大切にしながら、自分の出来る範囲の中で全体に貢献しようとするだろうと思います。
 しかし、特に日本という国は、多分昔からの国民性だと思うんですが、どちらかといえば「全体が中心でそこに個人が合わせて行く」という風潮が強いようです。 これを仮に全体主義としておきます。「全体主義」という言葉の本来の意味とだいぶ違ってますが、ここではどうぞあまり気にせずに・・・(^^;

 まぁ、最近は日本でも、ものの考え方がだんだんと欧米化されて、より個人主義に傾いた若者が増えているようにも思いますけれども、それでも、 例えば「みんなが行くからなるべく良い学校に入っておく」とか「みんながそうするからなるべく良い企業に入っておく」というような考え方は まだまだ世の中一般に広く存在していて、それはけっして個人主義からは生まれない考え方、つまりは全体主義的な考え方だと思います。
 また、仕事には熱中するけれどもついつい家庭をおろそかにしてしまう人や、部活動・友人達との約束などが優先で自分の時間があまり無くなってしまい ついつい「忙しくて・・・」という言葉を口にしてしまう人なども、ここで言う全体主義的な考え方の持ち主だと思います。

 全体主義がいけないとはけっして言いません。みんなで一緒に目標を掲げ、みんなで力を合わせて一歩一歩進んで行けば、個人個人がバラバラに勝手に動くよりも 何十倍もの大きな仕事が成し得ます。バブル崩壊までの日本は、ずっとそうやってみんなで一緒に頑張って、地道な成長を遂げて来たと思います。

 しかし、あまりにも全体を重要視し過ぎて個を省みなくなった時、やれノルマの達成がどうだ、やれ予定に間に合わないからどうだ、と、 どこかでひずみが生じて来るのも事実です。個人個人が自分の能力以上のことを求められ、なんとしてもやり遂げなければならない義務感にとらわれて、 ついつい無理をし過ぎてしまうのです。
 つまり、先ほど挙げたような全体主義的な考えの人達には、例え無理だとわかっていても、「とりあえずなんとかしなくては」と 必死に頑張ってしまう人が多いわけです。しかも、たとえ途中で様々に苦労したとしても、結果的にはきちんと予定通りに物事を 達成できてしまう人達なのです。そして、「無理をしてでも頑張ればなんとかなる、 だから頑張ろう、頑張ろう」と、それをず〜っと続けてしまいます。

 この、無理を押しても頑張る態度というのも、バブル崩壊までの日本を支えてきた大切なものですから 全面的に否定するわけにはいかないでしょう。しかしその結果、全体に合わせ過ぎたせいでついには個が崩れてしまった、という人が出て来てしまうのも事実です。 これが“燃え尽き症候群”です。

 実際、“燃え尽き症候群”は全体のことをきちんと考えられる真面目なタイプの人、そして無理矢理にでも頑張ればなんとか達成できてしまう人にかなり多いのです。 このタイプの人達は、自分にとって「頑張り過ぎ」「無理し過ぎ」であっても、それが全体のためになるなら本望だ、などと、あえて蓄積させて行ってしまいます。 自分が多少辛くても、周囲の人の喜ぶ顔を見ることですべて吹き飛んでしまう、と考えるのです。 そしてある日突然、本人の意思とは無関係に、体の方が「頑張り過ぎはいかん」「無理し過ぎはいかん」と悲鳴を上げてしまいます。 全体主義的な人が全員こうなるわけではありません。あくまでも、こうなってしまう場合がありますよ、というお話。

 個の崩壊は、ある日突然やって来ます。「やらなくちゃいけないのにやる気が出ない」 「行かなくちゃいけないのに行く気にならない」・・・これはかなり重度の危険信号の現れだと思います。そしてその危険信号さえ無視して無理の上に無理を重ねてしまった時に、結果として、 体がまったく言うことをきかなくなってしまいます。気持ちの中では「そんなことではみんなに迷惑がかかる」とわかっているのに、 どうにもしようが無くなるのです。

 学校に行けません。仕事に出られません。食事が作れません。こうなってしまうと、もはや病気です。医者にかかって 何年も治療しなければならない場合もあります。今までできなかった休憩を、ここでまとめていっきに取らなければならない状態、とも言えるでしょう。

 全体主義の人は真面目ですから、個を犠牲にしてでも他人のために頑張ろう頑張ろうとしていました。しかしその結果こんな状態に 陥ってしまい、逆に家族や友人に迷惑をかける事態にまでなってしまったとしたら、どうでしょう。
 何しろ真面目ですから、 そんな状態にある自分を責めてしまうかもしれません。そんな状態になってしまった自分に、嫌気がさすこともあるでしょう。 とにかくどうにも我慢のできない悪循環の毎日です。 こんな悲しい状態に陥ってしまうだなんて、この人が一体、どんな悪い事をしたと言うのでしょうか?

 そもそも“燃え尽き症候群”に陥ってしまう人達は、たいてい普段は、よく気の付くとても良い人達です。周りのみんなからも信頼され慕われてきた人が多いのです。 ですからそんな状態になってしまう直前までは、きっと、誰かに迷惑をかけたことなど、1度も無かったはずです。 そんな良い人がどうしてこんな結果に・・・?、と周りのみんなも不思議に思うでしょうけれど、よくよく考えてみると、その人にはただ1点、次の点が足りなかったと言えます。
 すなわち、「自分(個)も大切にする」という点が抜け落ちてしまっていたのです。

 全体と個と、両方をバランス良く大切にしていくことは、とても難しいと思います。実際、私もなかなかうまくいかなくて、 いつでも「どうしたらもっとうまくバランスが取れるだろう?」と考えてしまいます。しかしどんなに難しくても、 なんとか工夫してバランスを取りながら生活していかなければ、 ある日突然、両方とも失ってしまうかもしれないのです。
 ではここで問題。全体と個と、両方のバランスを上手に取っていくためのコツとは、一体何なのでしょうか?

 ここまで来て、1番上に書いたテーマが出て来るわけです。つまり、「疲れたな」「頑張り過ぎたな」「少し休みたいな」と思った時には、ほんの少しでもいいから すぐに休憩を入れる、ということです。なぜなら、「疲れたな」「頑張り過ぎたな」「少し休みたいな」と思うこと自体が、 自分の体から発された危険信号だからです。

 危険信号とは言っても、この程度であれば、まだまだ黄色いはず。すぐに休めば、またすぐに青信号に戻ります。ここでこの黄色い信号に気付かずに そのまま無理矢理直進しようとした時、そしてその無理を何度も何度も繰り返してしまった時に、ふと気付けば信号は赤くなり、前に1歩も進めなくなって しまっているわけなのです。

 特に真面目で友達思いの優しいみなさん、どうぞ充分にご注意ください。